学校教育と子育ての考え方

人間関係

学校教育と社会システムについて

学校教育の構造と目的

学校教育制度は、社会全体を構成するピラミッド型システムの一部であり、その構造は国、会社、その他の組織と同様にピラミッド型をしています。

このシステムは、ピラミッドの頂点にいる少数の人々の都合の良いように作られており、庶民を支配・コントロールし、搾取するために機能しています。

教育の目的は、庶民が思考停止の状態になり、支配者にとって都合の良いように考えるよう、思考を操作することです。

教育による個性の否定と思考の操作

学校教育では、以下の方法を通じて、個性を失わせ、自立を妨げるように仕向けられています。

唯一の答えの刷り込み

学校教育では、答えは一つであると教えられ、その答えは先生という権威ある人が提示したものだけが正解だと刷り込まれます。

これにより、自分で考えるのではなく、誰か(権威)が提示した答えを覚えることが正解とされ、自分の考えに価値がないと思い込むようになります。

比較と劣等感の植え付け

小さな頃から常に誰かと比較され、「どちらが上でどちらが下か」という概念を刷り込まれます。

テスト制度の中で点数で判断されることや、すべてにおいて他者に優れている人はいないため、どこかで劣っていると感じさせられ、「自分はダメな存在だ」と思い込んでしまうことで、自己肯定感(セルフイメージ)が低くなっていきます。

考える力の剥奪

テストは主に暗記を重視し、選択肢の中から選ぶという習慣をつけることで、選択肢の外に答えがあるという思考ができなくなります。

ロボット化の推進

教育現場で、マスク着用やスキンシップの禁止が行われると、子どもたちは無感情・無表情になり、周囲の感情やエネルギーを読み取る能力が育まれず、人間がロボット化する方向に進みます。

子どもの行動の病名化(個性の違い)

子どもたちの自然な行動も、大人の都合の悪いものとして捉えられ、病名がつけられがちです。

自然な姿

元気いっぱいで好奇心旺盛、行動的な子どもは、じっとしていられないのが自然な姿です。

宿題を忘れるのは、興味のある友達との遊びを考えることに集中しているからです。

病名の利用

落ち着きがない、言われたことが守れない、忘れ物が多いといった行動は、「多動症」「アスペルガー」「ADHD」「発達障害」などの病名がつけられますが、これらははっきりとした定義はありません。

これらの病名とされるものは、実際は個性の違いであるに過ぎません。

医療ビジネスの拡大

新しい病名をつけることは、薬やサプリメントを売るためのビジネスにつながり、特に大人だけでなく子どもをターゲットにすることで、儲けの範囲が広がります

薬物による大人しさの強要

エネルギーを発散できずムズムズしている子どもに薬を飲ませて大人しくさせようとするのは、ナンセンス以外の何物でもありません。

子育ての目的と方法

子育ての究極の目的

子育ての最終的な目的は、子どもを自立させること、つまり子ども自身が自分で生きていけるようにすることです。

親子の関係においても、愛情とは相手に対する感謝と尊敬であり、何かをしてもらうこと(例:老後の世話)を愛情のバロメーターとすることは、自立できていない考え方です。

個性を尊重し、好きなことを追求させること

子どもが楽しく生きるためには、その個性を伸ばすことが重要です。

好きなことをさせる

嫌なことをやめ、好きなこと、楽しいことをさせてあげれば、依存や中毒はなくなります。

得意なことの追求

学校制度は平均的にすべてをやるように強制し、苦手なことを克服させることに焦点を当てますが、これは子どもを苦しめ、興味のないことは伸びません。

そうではなく、その子が興味を持つこと、好きなことをとことん追求し、伸ばしてやることが大切です。

自立を促すサポート

親は子どもが選ぶこと、どうしたいかという意思を尊重し、サポートする立場にあるべきです。

必要以上に手を差し伸べ、世話をすることは、その子の自立を妨げます。

危機管理能力と自尊心の育成

子どもを自立させるためには、「ほっとく」ことが重要です。

「ほっとく」ことの重要性

親が「危ない」「ダメ」と過度に制限していると、子どもは危機察知能力を身につけることができません。

小さな体験の積み重ね

子どもは、ほっとかれることで、小さな怪我や体験を通じて危機管理能力を身につけ、それが自信につながり、セルフイメージが高くなります。

いじめの根絶

いじめはエネルギーヴァンパイアであり、大人がいじめをなくそうと説いても無理です。

いじめを根本的になくすには、子どもたちが自分を大好きで、自分に誇りを持てるように育ち、互いを尊重する社会システムが必要です。

親の姿勢が子どもに与える影響

子どもにどう育ってほしいかを願うなら、まず親自身がそうあるべきです。

モデルとしての親

親が子どもに「こうなりなさい」と言っても、親自身が実践していなければ説得力はありません。

ご機嫌さんでいること

親が自分を大切にし、自分の生き方に誇りを持って楽しく生きている姿を見せることで、子どもは「自由に、好きに生きていいんだな」ということを受け取り、自らもそう育っていきます。

この考え方は、頭で考える常識や倫理観、道徳観ではなく、ハートから来る感覚や感情に正直に従うというシンプルな原理に基づいています。

まとめ

学校教育というシステムは、規格化された部品を大量生産する工場のラインのようなものです。

子どもたち一人ひとりが持つユニークな宝石(個性)の形を無視し、型に押し込めることで、誰の指示にも従順に従うロボットを生み出そうとします。

一方、真の子育てとは、畑で多種多様な種を育てる農作業に似ています。

親は土壌(環境)を整え、水や光(サポート)を与えるだけで、あとは種(子ども)が持つ内なる力と個性に従って、自ら大きく成長するのを見守るということです。

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