大航海時代の始まり
コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見し、大航海時代が始まって、ヨーロッパが本格的に近代化をスタートさせました。
大航海時代はあくまでも白人からの視点であり、アメリカやアジアからの視点でみると、全く逆の捉え方になり、大侵略時代の始まりとなります。
日本人が学んできた歴史は、西洋側から見た歴史観が基準となっていて、日本側から見た歴史を学んでいるわけではないんです。
日本のことはかなりネガティブに書かれているんです。
大航海時代にコロンブスのような探検家を海外に派遣していったのは、スペインやポルトガルなのですが、何故彼らが海に出たのかというと、彼らには欲しいものがあったんです。
胡椒、金などの自分達の国では生産できないような稀少な産物。
ですが、地中海と中東には当時、オスマントルコという強大な国があり、海に出るしかないというのが大航海の理由です。
世界の植民地化
コロンブス以降、アメリカだけでなくアジアへも進出し、植民地を作っていきました。
彼らの手口は貿易や交流で入り、宗教を持ち込み宣教師を送り込むんです。
宣教師達は布教という名目で情報収集をして、スパイ活動をしていました。
情報を集めたら次に分離工作を行います。
アメリカを植民地にする場合は原住民のインディアン同士を仲違いさせ、双方が消耗ささたところを攻めて行くんです。
そういう火種がないところには伝染病の病原菌を撒き散らし、伝染病で減らしていきます。
当時のスペインやポルトガルはそうやって領土を広げていきました。
世界史ではトルデシリャス条約とサラゴサ条約という有名な条約がありますが、この条約は簡単に言うと、スペインとポルトガルが世界を2つに分けるということなんです。
勝てば官軍という言葉があるように、戦争に勝った方がルールを決められるというのが、人類の歴史です。
どんなに人を殺しても最後に勝てば英雄として描かれ、負けたら逆賊として汚名を着せられたり、名前を消されてしまうこともあるんです。
日本は植民地化されなかった
日本にも有名な宣教使が来ました。
スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルです。彼が日本に来たのは1549年でコロンブスの航海からおよそ60年後です。
ただ、当時の日本は織田信長が15歳で、斎藤道三の娘とちょうど結婚したくらいの時期で、日本は戦国時代真っ只中だったんです。
たまたま戦国時代だったおかげで、植民地にはされずに済んだんです。
ですが、彼らはキリシタン大名達を使って分裂を謀ります。
そのことに気づいた豊臣秀吉がバテレン追放令を出したんです。
実際、秀吉は単に宗教を弾圧していたわけではないという事が分かります。
秀吉はキリスト教の信仰自体は認めていて、布教活動を名目に侵略しようとすることを阻止しようとしていたんです。
どんどんキリシタン大名を増やしていき、島原の乱などを裏で支援し、内部分裂を加速させます。
こうゆうことがあり、日本は鎖国を完成させたんです。
秀吉が朝鮮出兵したのは本来は大陸や明を攻めに行ったのです。
明を攻め、インドまで進出しようとしたのはスペイン、ポルトガルの世界侵略に対抗しようとしたという説もあるんです。
近代以降も欧米に屈しなかった日本
江戸時代はパクス・トクガワーナと呼ばれる世界史でも類を見ない平和で豊かな国づくりができていた時代でした。
江戸は100万人を超える人々で溢れかえっていたんです。
当時の都市でそんな人口を抱えていたのはバグダッドと長安と江戸くらいだったんです。
水道のインフラも整い、衛生的で、ヨーロッパの都市とはまるで大違いでした。
日本が鎖国して平和に暮らしている間に、西洋諸国は世界中に植民地をつくっていきました。
その頃になるとスペイン、ポルトガルに変わって、オランダやイギリスに変わっていきます。
18世紀後半にイギリスで起きた産業革命は、ヨーロッパ諸国の生産力、軍事力を飛躍的に高めます。
鎖国してる日本にも開国を迫る動きが激しくなっていきます。
1840年に清で起きたアヘン戦争は日本に大きな衝撃を与えます。
イギリスが清にアヘンを売りつけるので、それを清の役人が取り締まると、イギリスがキレて清に戦争を仕掛け、香港などの領土を奪います。
清からすると無茶苦茶な話ですが、さすがにやり過ぎだろうという声がイギリスの議会でも上がった程です。
アヘン戦争を見ていた当時の日本人は危機感を覚え、警戒します。
そして、1853年マシュー・ペリーが浦賀にやってきます。
ペリーは最初は沖縄に来ていたんです。
そこで琉球政府はかわし、幕府に1年待ってほしいと言われ、砲艦外交で日米和親条約を結び、沖縄に戻り、琉球王国とも琉米修好条約を締結し、沖縄に拠点をつくります。
ペリーは来航前に、日本を追放されたシーボルトなどから情報を得て、日本人を分析し、交渉をしていた人物であり、アメリカにおけるロスチャイルド代理人、オーガスト・ベルモントの義理の父でもありました。
ペリーはかなり戦略的に日本を開国させ、列強の市場経済の中に日本を引き込もうとしていたんです。
ペリーの後任である、タウンゼント・ハリスは1858年に日米修好通商条約を日本と締結し、この条約は日本に関税自主権が十分に認められず、外国の治外法権を認めるということになってしまいました。
ハリスは日本貨幣とアメリカ貨幣との交換比率を自分たちに都合よく決めて、日本の貨幣を海外に持ち出し両替して大儲けしていたんです。
ここで日本の経済はガタガタにされます。
治外法権なので、外国人が日本で悪い事をしても日本では裁けないことにされてしまったんです。
当時の欧米人からしたら黒人や黄色人種は、家畜と同じ扱いで、売り買いもOKとされ、所有物だから殺したって構わない、そんなノリだったんです。
そんな状態で日本人が黙っているわけもなく、当然に外国勢力を追い出してしまえという世論が沸き起こり、攘夷運動が拡がります。
ところが幕府は欧米の軍事力を理解していたので、戦争を避けようとします。
薩摩藩や長州藩は個別に戦争をしていき、イギリスと戦い、奮戦します。
ここで欧米諸国は作戦を変え、内部で戦わせて弱ったところを叩くという方法に切り替えるんです。
イギリスは両藩の若者を自国に留学させ、仕込みます。
一方、フランスは幕府に対して、武器などを援助していきます。
こうして起きたのが戊辰戦争です。
外国勢力からしたらどちらが勝ってもいいように勝った方からお金を巻き上げ、最終的に植民地支配するという思惑です。
徳川慶喜も西郷隆盛も欧米の思惑を分かっていて、勝海舟らの説得で江戸を無血開城したんです。
戊辰戦争の死者は、国の統治者が入れ替わる大変革の戦争だったのにも関わらず、少なく世界史でも類を見ません。
アジアの小国から世界の強国へ
こうした流れの中で出来上がったのが明治政府です。
明治政府の国是は強い国をつくり日本を西洋列強の植民地にしないということでした。
強い国をつくるという目的は一緒でも方針は分かれます。
アジアの国々と連携するか、西洋列強に迎合していくかです。
まず前者側の代表的な政治家である、西郷隆盛です。
そして後者の大久保利通です。
この政治的な争いで西郷隆盛は自害し、日本は西洋化に大きく舵を切ります。
これまでの江戸幕府の政治は全否定され、廃仏毀釈なども進められます。
ここでは賛否別れるところです。
どう考えても江戸時代の方が国民の暮らしも教育も質が高いと思えるからです。
しかし、ほかのアジアの国のように植民地にされなかったのは評価すべきところです。
1868年に新政府ができてわずか36年後の1904年の世界最強の軍事力を持つと言われていたロシアに日露戦争で勝利します。
この時日本に資金提供していたのが、ジェイコブ・シフというユダヤ人です。
当時ロシアにはロマノフ王朝という強い王権があり、金融を握るユダヤ人は迫害されていました。
そのロシアとはイギリスと戦わせていたんですが、ロシアは強くイギリスもかなり弱っていました。
そこで日本をぶつけたと考えられています。
本来、日本と戦って弱ったロシアを後で叩く作戦だったはずですが、日本は勝ったのです。
そのくらいロシアは強い国でした。
これは近代における有色人種が白人国家に勝った初の戦争で、アジアや中東の国々の希望になったんです。
実際に日露戦争後にはたくさんの留学生が世界から押し寄せ、日本から学ぼうとしました。
日露戦争の勝利は、日本人が思っているよりも世界的に有名な出来事なんです。
日本に敗れたロマノフ王朝は、その後も工作活動を受けて、1917年のロシア革命で滅亡します。
この時の革命家に資金提供していたのもユダヤ人を中心とした資本家達です。
第一次世界大戦にも参戦し、戦勝国となり、米、英、仏、伊と並んで世界の5大国となります。
1919年のパリ講和会議では、日本が世界で初めて人種差別撤廃を提案しています。
ここから、アジアの国が西洋に災いをもたらすという思想をドイツのヴィルヘルム2世らが唱えた黄禍論が現実化してきたんです。
日本人からすると人種差別撤廃は当たり前の感覚でしょうが、白人国家からすると、有色人種は奴隷が当たり前なので、日本は調子に乗っていると思われたのかと思います。
そこから日本は、徹底的に潰そうとなってしまったのです。
日英同盟は破棄され、アメリカでは排日移民法が作られ、中国大陸ではユダヤのお金と繋がった支那の軍閥らのテロを受け、内陸への戦いに引きずり込まれます。
最終的に国際連盟からも脱退させられ、孤立します。
1930年代後半になるとABCD経済包囲網を張られて、日本は大東亜戦争に追い込まれます。
天皇陛下も首相の東条英機もアメリカとの戦争は望んでいませんでした。
しかし、国民の血を流して手に入れたたくさんの日本人が生活する領土をすぐに渡せや、外国との約束をすぐに反故しろという無理難題を押し付けられ回避することが出来ませんでした。
このことは昭和天皇の開戦の詔書にしっかり書いてあるんです。教科書には載っていません。
アメリカの指導者はソ連や中国と打ち合わせ済みで日本を潰した後どう分割するかまで、戦う前から決めていたんです。
中国は日本が世界征服を企んでいるっていう偽の文章を世界中にばら撒き、他の国から避難が出ないようにしていたんです。
アメリカとソ連は冷戦とかで仲が悪いと思われていますが、裏ではしっかりお金で繋がっている人たちがいたんです。
お金の流れを追っていくと、世界の戦争や紛争はその多くが、商人達と彼らが影響力を持つ国家の茶番劇だということがうっすら見えてくるんです。
戦わせて負けさせ、自分たちの思い通りにコントロールするため、それが彼らの常套手段です。
大東亜戦争での日本の目的は、日本の自立を守り、白人の支配からアジアを解放するためだったとも言われています。
米、英、仏、蘭に植民地にされていた国々を一気に解放していったんです。
この日本の解放をきっかけにアジアの国々は独立していくんです。
ミッドウェー海戦までは日本は圧倒的な強さでアジアを解放していきます。
ミッドウェー海戦も圧倒的有利だったのにも関わらず、慢心なのかスパイ工作なのか謎ですが、日本は大惨敗します。
アメリカではミッドウェーの勝利は奇跡だと言われているんです。
アメリカは東京での大空襲や原爆投下で大虐殺を行います。
戦争にはルールがあり、兵隊以外は殺してはいけないんです。
にも関わらず空襲や原爆で無差別に一般市民が殺されました。これは完全に違法行為であります。
ですが、戦争は勝てば官軍で誰も処罰などされませんでした。
これ以上戦えば一般市民がさらに大虐殺されると、昭和天皇は戦争を止めて下さったのです。
ポツダム宣言と戦後
日本軍はポツダム宣言を受諾して降伏し、占領時にはGHQのトップ、マッカーサーが1853年にペリーが船に掲げていた星条旗を持ってきたんです。
ペリー来航から100年近く経過していますが、ここからもアメリカの計画性が見られます。
そんなことから始まった日本の解体政策を簡単にあげると
- 国の形(國體)を定める憲法を作りかえる
- 軍隊を放棄させる(憲法9条)米軍基地を置く
- 検閲制度をつくる、マスコミをコントロール、焚書
- 諜報能力を奪う、通信社を解体、軍を解散させる
- 経済力を奪う、財閥解体
- 地域の名土をなくし、コミュニティを潰す、農地解放、家長制度廃止
- 国民と皇室を切り離す、神道指令
- 教育のコントロール、文部省をGHQ傘下に入れて、教育委員会制度、日教組などをつくる
- 日本人の精神性を破壊する、WGIP、3S政策、道徳、歴史、武道の廃止
大きなものだけでもこれくらいあるんです。
GHQの占領目的は、日本が2度とアメリカ(世界秩序)に逆らえないようにすることなんです。
そして今も、日本はGHQが作った不当な仕組みの上で生活しています。
あれから憲法は一度も変わらず、米軍は駐留したままです。
マスコミは大半が反日で、教育も教育委員会という責任の所在が分からない制度に委ねられているんです。
他国では常識のスパイ防止法はなく、皇室は存続の危機、家族はバラバラに、道徳は荒廃している状態で、今ななんとか日本人の国民性だけでギリギリ保っている感じに思えます。
中にはこうゆう状況でも戦ってくれたリーダー達はいました。
ですが、そういった真っ当なリーダー達はなぜか病気になったり、自殺したり、失脚したりします。
何かがおかしい。まぁこれまでの流れからするとおかしくもないのかもしれませんが。
まとめ
これまでの流れを簡単に整理すると
- 15世紀末から白人は軍事力で、有色人種を虐殺し、世界中に植民地をつくり略奪行為を繰り返した。
- 16世紀に日本にもやってきたが、日本は軍事力で撃退し、鎖国をして世界史上稀に見る豊かな社会を形成した。
- 19世紀にまた日本にやってきて、軍事力で開国させ、内部争いを誘発し新政府をつくらせ、お金などを貸してコントロールしようとする。
- 20世紀初頭に軍事力をつけて世界の五大国にまでなった日本は、人種差別を説いたが白人国家に認められず。
- 経済包囲網を張られて、コントロールされそうになるが、負けるのを分かっていながら、白人の植民地支配をやめさせるために戦い、それが有色人種の国々の独立に繋がる。
- 白人のルールに400年逆らってきた日本は、敗戦によって逆らえない国にされて、現在に至ります。
これは歴史的事実であり、日本人は日本の歴史をざっくりでも学ぶ必要があると感じます。
歴史的背景が分からないと何も見えてこないからです。

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