GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)について、詳しく解説します。
GHQは、第二次世界大戦終盤の1945年に設立された、アメリカを中心とする連合国軍による日本の占領を目的とした組織です。
日本語での正式名称は「連合国軍最高司令官総司令部」であり、GHQはGeneral Headquartersの頭文字を取った略称です。
最高司令官はダグラス・マッカーサー元帥が務めました。
GHQの支配権はアメリカとイギリスが主体となっていましたが、実質的にはアメリカによって大部分が運営されました。
占領期間中、GHQが日本に課した主な目標は、非軍事化と民主化の二点でした。
占領統治の方法と期間
GHQは、日本政府に指示を出し、それを日本政府が実行する間接統治という形式で占領政策を進めました。
この間接統治により、GHQは日本国民の反発を最小限に抑えつつ、スムーズに改革を進めることができました。
日本の占領統治は1945年8月30日にマッカーサーが来日してから始まり、6年8か月にわたって続きました。
これは、赤子が生まれてから小学校に上がるまでの期間に相当します。
1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、1952年に条約が発効したことにより、GHQは解散しました。
主な占領政策
GHQは、日本を平和で民主的な国に作り直すという目標のもと、政治、経済、教育、思想に至るまで、日本社会の根本を変えるような徹底した改革を実行しました。
非軍事化と公職追放
GHQは日本を二度と戦争できない国にするため、非軍事化に着手しました。
軍隊の解体と戦犯の追求
帝国陸軍や海軍は直ちに解体され、兵器や軍施設も接収されました。
戦争犯罪人を裁くための極東国際軍事裁判(東京裁判)が実行されました。
公職追放
戦争に責任がある者や軍国主義的な思想を持つと見なされた者たちが公職から追放されました。
これには政治家だけでなく、多くの官僚や地方公務員も含まれました。
経済改革
特定の個人やグループが力を持つことを防ぎ、軍事力を弱めるために経済のパワーバランスを分散させました。
財閥解体
三菱、三井、住友、安田などの巨大財閥が解体されました。
これらの財閥は多岐にわたる産業を牛耳り、戦闘機(例:三菱の零戦)などの製造を通じて戦争に大きく貢献していたため、解体は日本を工業国として骨抜きにする政策でもあったといえます。
農地改革
地主が農地を所有し、小作人が農地を借りる寄生地主制が、戦争遂行の意思統一を容易にしていたと考えられたため、GHQは地主から強制的に土地を買い上げ、小作人に安価で売り渡しました。
これにより、民主主義を支える自立した農民層が誕生しました。
憲法改正と天皇の地位
GHQが推進した最大の改革の一つが、大日本帝国憲法の改正です。
日本国憲法の制定
マッカーサーは天皇を戦犯として裁く可能性も考えましたが、日本の安定と再建には天皇の存在が必要不可欠だと判断しました。
マッカーサーは国民を案じる天皇の覚悟に深く感動したとされています。
GHQの指導の下、国民主権、象徴天皇制、戦争放棄(戦力不保持)を柱とするマッカーサー草案が作成され、これが日本国憲法のベースとなりました。
人間宣言
GHQは、天皇が人間であることを明らかにする人間宣言を昭和天皇にさせ、天皇が神であるという考え方(現人神)や、日本は神の国であるという国家神道の考え方を払拭しようとしました。
思想と教育の統制
日本人の精神構造を根本から変えるための施策も実行されました。
WGIPと検閲
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)を実行し、日本人に戦争への罪悪感を植え付けようとしました。
GHQはプレスコードと呼ばれる30項目の報道規制を行い、連合国軍最高司令官や東京裁判、GHQによる憲法起草に対する批判を一切許しませんでした。
また、「神国日本」という言葉や軍国主義の宣伝、大東亜共栄圏という言葉を使うことも禁じられました。
禁書
正しい歴史やアジアの真実を記した約8,000冊の本を「有害図書」として回収・焼却しました。
GHQ占領政策の研究で知られる西鋭夫教授は、GHQがこの隠された事実を暴く文書を組織的に焼却しようとしたと指摘しています。
例として、『天孫人種六千年史の研究』という本は、日本の皇室の祖先がシュメール系民族、さらには宇宙人(アヌンナキ)の血筋である可能性を示唆する内容を含んでいたため、GHQが真実を隠す目的で禁書にしたのではないかという説もあります。
教育改革
GHQは歴史、地理、修身の授業を停止させ、代わりに社会科を新設しました。
歴史学が過去の事実を時系列で並べ、その流れ(ストーリー)を学ぶのに対し、社会科は社会人として必要な知識をピンポイントで教えるものであり、歴史の流れを深く考察する訓練が失われたと指摘されています。
日本の精神的・文化的要素への影響
CIE(民間情報教育局)は、日本人が持つ強さの秘密が神社にあると突き止め、神棚にある8つの要素を法律を用いて一つずつ破壊する政策を進めたとされています。
大麻
GHQ占領下の1948年(昭和23年)に大麻取締法が制定されました。
これは仏教(密教)の宗教的な力を破壊するため、または石油製品との競合を避けるためであったと論じられています。
米
アメリカの余剰小麦(グルテン)を消費させるため、小学校の給食で米飯を禁止し、小麦を好む国民にしようとしました。
また、減反政策も実施されました。
塩
1971年から26年間、塩専売公社を通じて、微量ミネラルが抜かれた99.9%のナトリウム塩(精製塩)のみを国民に消費させました。
これは日本人の気力や活力を低下させる「塩抜き」の刑と同等の効果があったとされています。
水
戦後の植林政策(杉の木)やダム建設は、日本の補水力を無くし、水源を枯らす計算があったと指摘されています。
酒(どぶろく)
農家が自作していた自然な発酵酒を禁じるどぶろく禁止令が出され、工業的なアルコールが普及しました。
旧暦(和暦)
月との関係が深い旧暦(和暦)を新暦(グレゴリオ暦)に置き換え、月(重力)のエネルギーを利用した伝統的な儀式(例:お盆)が効果を持たなくなるようにしました。
大和言葉
外来語を多用させ、日本人のDNAに染みついた大和言葉の持つ力(言霊)を奪おうとしました。
また、「氣(気)」、といった漢字を簡略化・改変し、本来のエネルギーや意味を失わせたとも言われています。
純正律
神社の雅楽などで使われていた純正律を、平均律に置き換えることで、音玉の力が波動として伝わるのを阻害しました。
占領政策の転換と終結
終戦当初、GHQは日本を小規模で平和な農業国へと転換させようとしていましたが、数年のうちに国際情勢が変化しました。
1949年の中国共産党による大陸制圧や、1950年の朝鮮戦争勃発など、共産主義の拡大により、日本は自由主義陣営の対共産主義の前線基地としての役割を担うことになりました。
この方針転換により、GHQは日本に治安維持のため自前の武装組織である警察予備隊(後の自衛隊)を創設するよう指示し、財閥解体などで落ち込んでいた重工業の復興も進められました。
1951年、日本はソ連を除く主要連合国との間でサンフランシスコ平和条約を結び、日本の主権が回復しました。
これにより、1952年にGHQの占領統治は終わりを迎えました。
GHQの行った政策は、良くも悪くも現在の日本の基礎を作った組織であったと言えます。


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