『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方:10代のうちに知っておきたい 何度でも立ち直れる、しなやかなメンタルをつくる方法』(真山知幸 著)は、 2024年1月に発行された、特に10代の若者向けに書かれた伝記的な自己啓発書です。
自分の生き方を貫いた賢者たち
高杉晋作
幕末の長州藩士で、奇兵隊を率いた志士。
藩の方針に反対し、命をかけて討幕運動を推し進めた。
仲間が次々と逮捕・処刑される中でも志を曲げず、身分や年齢の垣根を超えて人を集めた奇兵隊を結成。
武士中心だった時代に、農民や町人にも参加を認めたその姿勢は革新的で、時に「無謀」と批判されたが、彼は自分の信じる日本の未来のために行動を貫き通した。
ソクラテス
古代ギリシャの哲学者で、「無知の知」を説いた人物。
自らを「何も知らない人間」と認め、相手に問いを重ねて真理に近づく対話法を実践した。
アテネの若者に影響を与え続けたが、その教えは体制批判と受け取られ、裁判で死刑を宣告される。
それでも信念を曲げず、亡命の誘いを断り、毒杯をあおって最期を迎えた。
真実の探究を、生涯かけて貫いた姿勢が今も語り継がれている。
マゼラン
大航海時代の航海者で、世界一周航路を切り開いた人物。
ポルトガルから冷遇され、スペインに渡って航海計画を提案。
未知の海を越えて航路を探し、暴風雨や反乱、食糧不足など幾多の困難に直面した。
フィリピンで戦死し、自らは世界一周を果たせなかったが、その艦隊は地球を一周し、地球が丸いことを実証した。
自分の探求心と使命感を最後まで曲げなかった象徴的存在。
湯川秀樹
日本初のノーベル賞受賞者となった理論物理学者。
幼少期から病弱で、体力的なハンデがあったが、本や思索の世界で力を伸ばした。
戦時中は研究が軍事利用される状況に直面しながらも、理論物理の基礎研究を続けた。
戦後は平和利用のために科学を進めることを訴え、国際舞台でも発言。
研究者としての道を貫くと同時に、「科学は人類の幸福のためにあるべきだ」という信念を守り抜いた。
ピンチをチャンスに変えた賢者たち
葛飾北斎
江戸時代後期の浮世絵師で、『富嶽三十六景』など世界的に知られる作品を残した。
貧困や火事での家財喪失、弟子や家族の不和など、生活は常に不安定だったが、そのたびに新しい画風や技法に挑戦した。
70歳を過ぎても「あと10年生きれば本物の画工になれる」と語り、年齢や境遇に縛られず進化を続けた。
逆境を成長の契機とし、晩年まで創作意欲を燃やし続けた姿勢は、まさにピンチをチャンスに変えた生き方である。
広岡浅子
明治時代の実業家で、日本初の女子大学創設に尽力した女性。
若くして嫁いだ先の家業が経営危機に陥ると、自ら商売に乗り出し、銀行や生命保険会社の設立に関わった。
女性が表に立つことが珍しい時代に、偏見や批判を受けながらも行動をやめなかった。
困難を乗り越えるたびに新しい事業を立ち上げ、その活動は教育や福祉にも広がった。
逆境を跳ね返し、新しい道を切り開いた象徴的な人物である。
吉田茂
戦後日本の首相として、荒廃した国の再建に取り組んだ政治家。
敗戦直後、経済も外交も混乱しきった中で、アメリカとの信頼関係を築きながら日本の独立を回復させた。
占領下での交渉は、時に国益と国民感情の板挟みとなったが、現実的な判断とユーモアを武器に困難を乗り越えた。
国が最も弱い立場にあった時期に、その状況を外交のチャンスと捉え、日本の立場を世界に押し出した。
トーマス・エジソン
発明王として知られるアメリカの起業家・技術者。
幼少期に聴覚障害を抱え、学校でも劣等生と見なされたが、そのハンデを実験や読書に没頭する時間へと変えた。
生涯で1000件以上の特許を取得したが、その陰には数え切れない失敗があった。
彼は失敗を「うまくいかない方法を発見した成功」と捉え、改良を重ねて成果に結びつけた。
困難や失敗を前向きに利用し、次の発明の糧にした典型的な例である。
仲間を信じ続けた賢者たち
松下幸之助
松下電器(現パナソニック)の創業者。
体が弱く学歴もなかったが、従業員を家族のように信じ、任せる経営を徹底した。
戦後の混乱期には資金繰りの危機に直面したが、社員を解雇せず、新事業の立ち上げや販売網拡大に挑戦。
部下の意見や提案を尊重し、「人を活かす」姿勢を崩さなかった。
その信頼関係が社員の結束を生み、会社の急成長を支えた。
徳川家康
戦国時代から江戸幕府を開いた武将。
織田信長や豊臣秀吉と同盟を結びながら、仲間や家臣との信頼関係を時間をかけて築いた。
三河一向一揆や数々の裏切りを経験しても、忠誠を尽くす家臣には厚遇を続けた。
長期的な忍耐と信頼が、関ヶ原の戦いの勝利と260年続く平和な時代の礎となった。
仲間を信じる力が、天下統一後の安定に直結した。
クロード・モネ
印象派を代表するフランスの画家。
若い頃は評価されず、経済的にも苦しい生活を送ったが、仲間の画家たちと共に新しい絵画のスタイルを追求した。
批判や冷笑を浴びても、互いの作品を支え合い、個展を開き続けた。
仲間の支援と信頼は、晩年の大作「睡蓮」シリーズにまでつながり、印象派の地位を世界に確立させた。
困難な時期こそ仲間との絆を大切にした姿が際立つ。
運命を乗り越えた賢者たち
大久保利通
明治維新の立役者の一人で、西郷隆盛や木戸孝允と並び「維新三傑」と称される政治家。
薩摩藩の下級武士として生まれ、身分の限界や藩内の政争を乗り越え、討幕と新政府樹立に尽力した。
維新後は近代国家建設のために中央集権化を進め、不平士族の反発や暗殺の脅威にも屈しなかった。
激動の時代に生まれた運命を受け入れ、それを国家改革の原動力に変えた。
勝海舟
幕末の海軍奉行で、明治維新後は政治家として活躍。
下級武士の家に生まれ、貧困や身分差別を経験したが、蘭学と航海術を学び、日本の海軍近代化を推進した。
江戸無血開城では西郷隆盛と会談し、武力衝突による惨事を避けた。
時代の大きな転換点で自らの立場を見極め、血の流れない未来を選んだ姿は、与えられた運命を冷静な判断で乗り越えた典型例である。
陸奥宗光
幕末から明治期の外交官・政治家。
若くして倒幕運動に参加し投獄されるという挫折を経験。
その後、明治政府で要職につき、外務大臣として不平等条約の改正に尽力した。
病魔や国内の反対論に苦しみながらも、粘り強い交渉で領事裁判権の撤廃を実現。
不遇の青年期から国の名誉を回復する外交官へと成長し、逆境を国家の利益に結びつけた。
ベートーベン
ドイツの作曲家で、音楽史上最も偉大な存在の一人。
若くして耳の不調を抱え、やがて聴覚をほとんど失ったが、作曲を続けた。
絶望の中でも創作を諦めず、「運命交響曲」や「第九交響曲」など歴史的名作を生み出した。
音楽家にとって致命的な障害を背負いながらも、自らの内面の音楽を信じ抜いた姿は、運命を乗り越える力の象徴である。
差別を越えて活躍した賢者たち
津田梅子
日本の女子教育の先駆者。
幼くして岩倉使節団に同行し、アメリカで教育を受けたが、帰国後の日本は女性の地位が極めて低く、学んだ知識や経験を生かす場がほとんどなかった。
社会の偏見や反発に直面しながらも、女子英学塾(後の津田塾大学)を創設し、女性が高等教育を受けられる道を開いた。
性別による制限を乗り越え、日本の女性教育の基礎を築いた。
ローザ・パークス
アメリカの公民権運動家。
黒人差別が法的に認められていた時代、バスで白人に席を譲ることを拒否し逮捕された。
この行動はモンゴメリー・バス・ボイコット運動のきっかけとなり、全米の人種差別撤廃運動を大きく前進させた。
日常の中の小さな抵抗が、社会全体を変える原動力になった例であり、個人の勇気が差別を打ち破ることを示した。
土方歳三
新選組副長として幕末を駆け抜けた武士。
農家の次男として生まれ、武士階級ではない出自ゆえに武士としての道は閉ざされていたが、自ら剣を学び、志を同じくする仲間と新選組を結成。
身分制度や出自による差別を受けながらも、組織の規律と信念を守り続け、戊辰戦争の最期まで戦い抜いた。
自らの立場を努力と行動で切り開き、時代に名を残した。
まとめ
これまで登場した人物たちは、国や時代、分野は異なっても、困難や制約を力に変えたという共通点を持っている。
信念を貫いた高杉晋作、ソクラテス、マゼラン、湯川秀樹は、命の危険や批判を受けても理想や探究心を曲げずに行動し続けた。
逆境を好機に変えた葛飾北斎、広岡浅子、吉田茂、トーマス・エジソンは、貧困や失敗、社会の混乱を新たな挑戦のきっかけにし、成果へつなげた。
仲間を信じた松下幸之助、徳川家康、クロード・モネは、困難な状況でも仲間や部下を信頼し、その絆を力に変えた。運命を乗り越えた大久保利通、勝海舟、陸奥宗光、ベートーベンは、身分や病、時代の制約を受け入れつつ、それを超える行動で歴史を動かした。
差別を越えて活躍した津田梅子、ローザ・パークス、土方歳三は、性別や人種、身分の壁に直面しながらも、努力と勇気ある行動で道を切り開いた。
いずれの人物も、生まれや環境を理由に諦めることなく、挑戦と行動を通じて歴史に足跡を残した。


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