森口朗さんの著書『売国保守』を参考にしました。
自民党の対韓国外交
始まった対韓国正常化
著者は、日本と韓国の関係正常化(1965年の日韓基本条約締結)を、「日本が譲歩から始めた関係」と位置づけています。
韓国との「正常化」とは名ばかりで、実態は賠償名目の経済支援や技術供与を通じて、韓国側の要求を受け入れる形だったと批判します。
日本が戦後処理を終えたにもかかわらず、以後も慰安婦・徴用工問題などを理由に「謝罪と補償」を繰り返すことになった出発点だとしています。
韓国のゆすり・たかりを認め続けた政府・自民党
森口氏は、韓国政府が歴代政権を通じて日本に対して「ゆすり・たかり」と呼べる要求を繰り返してきたと指摘します。
慰安婦問題や歴史認識問題などにおいて、日本政府、特に自民党政権は毅然とした拒否や抗議を行わず、国益を損なう譲歩を続けてきたと批判しています。
その背景には、外交的な圧力よりも、国内政治上の「穏便主義」や「波風を立てない官僚主義」があると見ています。
保守・愛国を詐称する政治家がゴロゴロいる自民党
著者は、自民党内には「保守」や「愛国」を名乗りながら、実際には外国への依存・譲歩を重ねる政治家が多いと述べています。
口では「日本の伝統を守る」「憲法改正を進める」と言いつつ、具体的な行動では国益を軽視し、グローバリズムや他国の利益に迎合していると批判しています。
特に韓国や中国との関係においては、「友好」や「経済協力」の名のもとに、結果的に日本の地位を下げているとしています。
佐藤内閣による韓国支援の開始
森口氏は、戦後日本が韓国支援を本格化させたのは佐藤栄作内閣の時代だと指摘します。
1965年の日韓基本条約締結により、総額8億ドルもの経済支援(無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル)が行われました。
著者はこれを「賠償ではなく援助」であるにもかかわらず、韓国側が「植民地支配の賠償金」として国内宣伝に利用したことを問題視しています。
日本政府はその誤解を正さず、むしろ黙認したことで、後の「謝罪外交」の土台を作ってしまったと論じています。
都市銀行に韓国救済を強要した橋本内閣
著者は、1997年のアジア通貨危機時に、橋本龍太郎内閣が韓国の金融危機を救うために日本の大手都市銀行に協力を要請したことを「不自然な韓国救済」と批判します。
当時、韓国はIMF支援の対象となっており、民間銀行のリスクを取ってまで支援する義務は日本にはなかったにもかかわらず、政治判断で「友好」「安定」の名の下に日本の金融機関に負担を押し付けたと述べています。
これを「国益より韓国を優先する典型」としています。
昭和時代の自民党選択は間違いではなかった
森口氏は、戦後から昭和後期にかけての自民党政治そのものを全面否定しているわけではありません。
高度経済成長を支え、国民生活を安定させたという意味で、昭和時代の自民党の政策判断は合理的であり、当時の国際環境において一定の成果を上げたと評価しています。
しかし同時に、その「安定志向」「協調外交」が平成以降、惰性化して「売国的保守体制」へと変質したと指摘します。
すなわち、「昭和の保守」は誇るべきだが、「平成以降の保守」は理念を失ったというのが著者の見解です。
左翼に応援される石破茂氏
石破茂議員について著者は、「保守」を名乗りつつも、メディアや左派的言論人から支持される政治スタイルが特徴的だと述べます。
安全保障論には詳しい一方で、皇室や伝統文化に関する姿勢が曖昧であり、「自民党の中のリベラル」としての立ち位置を取っているとしています。
森口氏は、左派メディアに好意的に扱われる「保守政治家」は、往々にして本質的な保守思想を持たないと指摘しています。
北朝鮮に惚れられた小泉純一郎元総理
小泉純一郎氏の北朝鮮訪問(2002年・2004年)は、日本外交の転換点として評価される一方で、森口氏はこれを「北朝鮮への過剰な融和」として批判しています。
拉致問題解決の名目で訪朝したが、結果として北朝鮮政権に国際的正統性を与えることになり、日本の交渉カードを失わせたとしています。
著者は、小泉氏が「劇場型政治」によって世論を味方につけつつ、実際には北朝鮮に外交的譲歩をしたと見ています。
日韓議員連盟の意義
森口氏は、日韓議員連盟(超党派の国会議員組織)を「日韓友好」を名目にした利権・人脈ネットワークと捉えています。
日本側の政治家にとっては選挙区支援や経済利権へのつながりがあり、韓国側にとっては日本への影響力行使の手段となっていると批判します。
本来の外交チャンネルとは異なる「政治家同士の私的交流」が、韓国の要求を日本国内で通しやすくする構造を作っていると警鐘を鳴らしています。
北朝鮮と仲良くしたがる政治家の見分け方
著者は、北朝鮮や中国、韓国などに融和的な政治家にはいくつかの共通点があると述べます。
たとえば、「人道」「平和」「対話」などの言葉を多用し、国防・安全保障の議論を避ける傾向があること。
あるいは、拉致問題や核問題の現実的な対応よりも「国際的理解」や「交流促進」を優先すること。
森口氏はこうした姿勢を、「日本の国益を犠牲にして他国の顔色をうかがう典型的な売国保守の特徴」としています。
パチンコを守り続けた政府自民党
著者は、パチンコ業界が長年にわたって政治と深く結びついている点を問題視します。
本来は賭博でありながら、法のグレーゾーンを利用して存続してきた背景には、自民党の一部議員と警察官僚の癒着があると指摘しています。
韓国ではパチンコが全面禁止されたのに対し、日本では「経済・雇用」「娯楽」の名のもとに温存され、北朝鮮などへの資金流出の温床にもなってきたと批判します。
正体を表した愛国者・保守派を詐称する政治家たち
森口氏は、本書の締めくくりとして、「愛国」「保守」という言葉を政治的ブランドに使う政治家たちの正体を明かしています。
彼らは演説やメディア発言では「日本を守る」「伝統を大切にする」と語りながら、実際の政策では外国依存・規制緩和・移民受け入れなどを推進していると批判します。
著者は「保守を名乗ることが目的化した政治家」を「売国保守」と呼び、真に日本の未来を考えるなら、言葉ではなく行動で見極める必要があると訴えています。
良心なき親中派
親中派こそが真の売国奴
森口氏は、日本の政治・経済界に根を張る「親中派」こそ、最も深刻な売国勢力であると断言します。
彼らは表向き「日中友好」「経済協力」を掲げながら、実際には中国共産党の利益に沿う政策を推進し、日本の主権や安全保障を危険にさらしていると指摘します。
著者は、韓国への譲歩よりも中国への依存のほうがはるかに国家リスクが大きく、「保守を装った親中派」こそが真の売国奴だと批判しています。
なぜ自民党の中に親中派がいるのか
森口氏は、自民党の中に親中派が存在する理由を、戦後政治の構造に求めています。
冷戦期、日中関係は経済成長のチャンスと見なされ、政治家や財界人は中国とのパイプを「利益の源泉」として活用してきました。
特に田中角栄の日中国交正常化以降、政官財の間に「中国と仲良くすれば得をする」という空気が定着しました。
著者はこれを「利権型親中構造」と呼び、政治家が国益ではなく私的な利益のために中国と結びついたことが、自民党内部に親中派を温存させた原因だとしています。
中華人民共和国の恐ろしさ(大量虐殺・臓器売買・デモクラシーを許さない)
森口氏は、中国共産党体制を「人権を否定する独裁国家」として厳しく批判します。
文化大革命や天安門事件などに見られる大量虐殺、法輪功信者やウイグル人への臓器摘出疑惑、反体制的言論や民主化運動を徹底的に弾圧する体制を挙げ、中国の本質は「経済大国を装った全体主義国家」であると論じています。
令和の親中派はほぼ全員が左翼か売国奴
著者は、「人権と民主主義を掲げる日本が、このような国家に経済支援や政治的信頼を与えてきたこと自体が大きな過ち」であり、親中派政治家の責任は重いと述べています。
森口氏は、令和時代において親中派を名乗る政治家や知識人の多くが、実際には左翼的思想を持つか、もしくは利権に結びついた売国的存在であると指摘します。
彼らは「平和」「国際協調」「多文化共生」といった言葉を使い、中国の体制批判を避け、日本側の防衛や外交的自立を妨げる傾向があるとしています。
著者は、「親中」を掲げる時点で日本の独立精神を放棄しており、それは思想的にも経済的にも売国的であると断言しています。
親中派の見つけ方
著者は、親中派政治家や官僚、評論家を見分けるための特徴をいくつか挙げています。
第一に、中国共産党を「中国」と言い換えて曖昧に表現し、体制批判を避けること。
第二に、台湾問題やウイグル問題など人権侵害の話題になると急に沈黙すること。
第三に、「日中友好」や「経済交流」の美名を使って中国依存を正当化すること。
森口氏は、こうした言動をする人物こそが「保守を装った親中派」であり、国民が最も注意すべき対象だと警告しています。
中華人民共和国を大国にした自民党政府
森口氏は、日本の自民党政権が、実質的に中国を「経済大国」に育ててしまったと述べています。
1972年の日中国交正常化以降、日本は巨額の経済援助や技術移転を行い、インフラ整備・製造業育成などを全面的に支援しました。
その結果、今日の中国の経済的台頭は「日本が育てた成果」であり、それが今や日本の安全保障を脅かす存在に変わったと指摘します。
著者は、これを「愚かなる善意外交」として、長期的な国家戦略の欠如を痛烈に批判しています。
天皇陛下まで中国のために利用した自民党
著者は、自民党政権が中国との関係改善を目的に、天皇陛下のご訪中や接遇を政治利用したと非難します。
特に1992年の天皇訪中について、表向きは「国交正常化20周年記念」でしたが、実際には中国側が国内統治の正当性を高めるために利用したと指摘しています。
森口氏は、「陛下の存在を外交カードとして使うことは、国体と伝統の軽視に等しい」と述べ、保守を名乗る自民党が最もやってはならない行為だと断じています。
中国から有難がられた歴代総理
森口氏は、歴代の日本の首相の中で、中国から「好人物」として扱われた人物に共通する特徴を指摘しています。
田中角栄、福田赳夫、橋本龍太郎、小渕恵三、鳩山由紀夫などは、いずれも中国との友好や経済協力を重視し、結果的に中国の発展に貢献したとされています。
著者は、こうした首相たちが「中国に評価される」ことを誇りに感じた点を問題視し、「中国に喜ばれる政策は、日本の国益を削ぐ政策である」と断言します。
売国奴は政治家だけではない
森口氏は、売国的な動きは政治家だけでなく、財界、官僚、学者、マスメディアにも広く存在すると述べています。
特にメディアや学界は「日中友好」の名のもとに、中国の現実を批判する言論を封じ、親中姿勢を「国際的視野」として美化してきたと指摘します。
また、経済界も中国市場を重視するあまり、技術移転や機密漏洩を容認してきたと批判します。
著者は、「政治家だけでなく社会全体が売国体質に侵されている」として、国民一人ひとりの意識改革を呼びかけています。
女系天皇を認める保守などありえない
左翼政治家は全員が反日政治家
森口氏は、戦後日本における左翼政治家の多くが「反日的発想」に基づいて行動してきたと批判しています。
左翼は「平和」「人権」「民主主義」を掲げながら、その実態は日本の伝統・文化・国家的価値観を否定する思想に立脚していると指摘します。
彼らは戦前の日本を「悪」と規定し、戦後体制を「絶対善」とみなすことで、教育やメディアを通じて国民の歴史観を歪めてきたと主張します。
森口氏は、左翼の政治家は結果的に外国(特に中国・韓国)に有利な政策を推進し、日本の誇りと独立心を削いできたため、「反日政治家」と呼ばざるを得ないとしています。
天皇制と呼ぶか皇室制度と呼ぶか
著者は、「天皇制」という言葉自体に左翼的な意図が込められていると指摘します。
「天皇制」という表現は、戦後のマルクス主義的史観の中で、天皇を「政治体制の象徴」として制度的に批判するために使われた用語であり、本来の伝統的な呼び方ではありません。
森口氏は、「皇室制度」こそが正しい言い方であり、「天皇制」という言葉を使う人は無意識のうちに左翼的・反天皇的な立場に立っていると述べます。
つまり、「言葉の選び方」が思想の立ち位置を表すというのが著者の見解です。
歴代の女性天皇
森口氏は、日本の歴史上に存在した女性天皇(推古天皇、皇極・斉明天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙・称徳天皇、明正天皇、後桜町天皇)を紹介しつつ、これらはすべて「男系の女性天皇」である点を強調しています。
すなわち、女性が一時的に天皇に即位したとしても、その血統は父系に皇統を継ぐ「男系」であったということです。
著者は、歴史上に女性天皇が存在したことを理由に「女系天皇も容認すべき」という主張は誤りであるとし、過去の例を正しく理解すべきだと訴えます。
女性天皇議論は令和時代には不要
森口氏は、令和の時代に「女性天皇」や「女系天皇」をめぐる議論をすること自体が、本質を見誤っていると述べます。
現在の皇室には男系の継承者が存在しており、直ちに女性天皇を立てる必要はありません。
むしろ、女性天皇や女系天皇の議論を持ち出す勢力の多くが、皇室の伝統を尊重していない左翼的立場から来ていると指摘します。
著者は、この議論が「皇室を守るため」ではなく、「皇室を制度として変えるため」に利用されていると警鐘を鳴らしています。
左翼はウソにウソを重ねる
森口氏は、左翼思想の特徴として「事実をねじ曲げ、都合の悪い真実を隠す」点を挙げています。
戦後教育においても、歴史教科書やメディア報道を通じて「自虐史観」が作られ、日本が加害者であったという一面的な物語が広められてきたと批判します。
左翼は「人権」や「平等」といった普遍的価値を掲げながら、その実、国家と伝統を否定するイデオロギーに基づいて行動しており、ウソを重ねて正当化してきたと述べています。
著者は、「左翼の主張は一見理性的だが、根底には日本への敵意がある」と結論づけています。
左翼が創りたがる女系天皇なるもの
著者は、「女系天皇」論を積極的に推進する勢力の多くが左翼的思想を持っていると指摘します。
彼らは「男女平等」や「時代に合った皇室制度」という言葉を使って国民を納得させようとしますが、実際の目的は皇室の伝統的な男系継承を断絶させることにあると批判します。
森口氏は、男系を維持することが日本の歴史と文化の根幹であり、「女系天皇」はその血統の連続性を完全に断ち切るものであると述べます。
つまり、「女系容認」は表面的には進歩的だが、実際には皇室の終わりを意味するとしています。
ヨーロッパが男系・女系にこだわらない理由
森口氏は、ヨーロッパの王室が男系・女系を問わずに王位を継承できるのは、歴史的・文化的背景が異なるためであり、日本とは比較にならないと指摘します。
ヨーロッパの王室は、封建国家の統治権の象徴であり、「血統の神聖性」ではなく「王権の法的継承」が重視されてきました。
一方、日本の皇室は、神話と血統の連続性(天照大神の子孫という信仰)を根本に持つため、男系の維持こそが存在意義です。
森口氏は、「ヨーロッパがそうだから日本もそうすべき」という主張は、伝統理解を欠いた短絡的な模倣にすぎないと批判しています。
皇室制度を愛するならば今すべき議論
著者は、皇室を本当に愛するのであれば、「女系容認」などの改変ではなく、皇位継承を安定的に維持するための現実的な対策を考えるべきだと訴えます。
たとえば、旧宮家の男系男子の皇籍復帰、皇族の減少を防ぐための制度改革、皇族方の公務負担軽減などがそれにあたります。
森口氏は、「伝統を壊す改革ではなく、伝統を守るための改革」を行うことが真の保守であり、これこそが今、国民と政治家が取り組むべき課題であると結論づけています。
敬老による弊害
敬老が売国保守を守った
森口氏は、戦後日本の「保守政治」が劣化した原因の一つとして、「敬老思想」の歪んだ形を挙げています。
日本社会では長年、「年長者を敬う」ことが美徳とされてきました。
これは本来、知恵や経験を尊ぶ健全な文化でしたが、戦後の政治においては「高齢者を批判してはいけない」「年功序列に逆らえない」という空気に変質したと指摘します。
この結果、政治・官僚・教育・マスコミの中枢に戦後的価値観を持つ高齢世代が居座り、彼らの思想が「保守」を名乗りながらも実際には日本の国益を損なう「売国的政策」を支えてきたと述べます。
つまり、「敬老の名のもとに、売国保守が守られてきた」というのが著者の主張です。
年金政治が作った「売国的安定」
森口氏は、戦後日本の政治の中で最も保守を腐敗させた仕組みが「年金制度」であると述べます。
本来、保守とは「将来世代に責任を持つ政治」であるはずが、年金制度は「現役世代から老人への所得移転」という構造を固定化しました。
政治家は高齢者の票を得るために年金給付を拡大し、若者や将来の世代に負担を押し付ける政策を繰り返しました。
このような政治を「保守」と呼ぶのは誤りであり、著者は「票のために未来を売った政治」を「売国保守」と名指ししています。
高齢有権者が支える「旧来型保守」
著者は、日本の選挙構造にも言及します。
高齢者の投票率は若者に比べて圧倒的に高く、結果として政治家は「高齢者に都合のよい政策」を優先する傾向を強めました。
この構造が、「変革を嫌い、現状維持を望む保守政治」を温存させたのです。
森口氏は、この現象を「売国保守の温床」と呼び、真に国を守る政治ではなく、「既得権を守る政治」へと堕したと批判します。
つまり、「保守」という言葉が本来の意味を失い、単なる高齢層の生活防衛の象徴にすり替わったと指摘しています。
「敬老」から「共生」へ思想を変えるべき
森口氏は、年長者を尊敬する文化そのものを否定しているのではなく、「敬老」という価値を未来に生かす方向に転換すべきだと説きます。
すなわち、「年寄りを甘やかす政治」ではなく、「世代を超えて助け合う社会」へと意識を変える必要があると述べています。
政治とは、一部の世代を守るものではなく、未来世代の幸福を保障する仕組みであるべきです。
著者は、「本当の保守とは、子や孫の世代のために現世代が身を削る覚悟で国家を守る思想である」と強調します。
この精神を失ったとき、どんなに「愛国」を唱えても、それは「売国保守」に過ぎないのだと断言します。
保守が「情」だけで動く危険性
森口氏は、戦後の日本保守が「情緒的保守」になってしまったことを問題視します。
「日本は素晴らしい」「天皇を敬う」「伝統を守る」といった感情的なスローガンだけでは、現実の政治課題には対応できません。
そこに具体的な政策や論理が欠けているため、結果として国家の根幹が損なわれていくのです。
特に高齢者層の保守層は、論理よりも情緒に訴える政治家を支持しやすく、これが「改革を止める力」となってしまったと指摘します。
森口氏は、「本当の保守とは情ではなく理である」「現実を直視し、未来を設計できることが保守の使命だ」と論じます。
日本再生のために必要な「保守の若返り」
森口氏は、売国保守を打破するには、保守思想そのものを世代交代させる必要があると結論づけています。
若者が政治や思想の世界で主体的に発言し、戦後保守が抱えてきた「情緒・年功・既得権」を乗り越えることが、日本の再生につながると説きます。
また、教育現場でも「批判的に考える力」「国家観をもって判断する力」を育てることが不可欠だとしています。
つまり、「保守の若返り」は単なる世代の交代ではなく、「思想の刷新」であり、「未来志向の保守」こそが真に国を守る道であるというのが森口氏の立場です。
日教組を放置した自称保守
「保守が教育を見捨てた」という最大の過ち
森口氏は、「戦後日本の保守が最も大きく失敗した分野は教育である」と明言しています。
特に、戦後日本の教育を長く支配してきた「日教組(日本教職員組合)」の存在を、保守政治家や保守知識人が“見て見ぬふり”をしてきたことが、今日の日本社会の混乱や国家観の喪失につながったと厳しく批判します。
日教組は戦後直後に結成され、アメリカ占領下での教育改革を利用しながら、強い反国家・反天皇・反自衛隊・親社会主義的な教育を全国に広めていきました。
その結果、戦後教育の中で「日本は悪い国だった」「国旗や国歌は軍国主義の象徴」といった自虐的歴史観が広まりました。
森口氏は、このような状況を“教育による静かな侵略”と呼び、「戦後の左翼は街頭ではなく教室を支配することで日本を変えた」と喝破しています。
なぜ自民党は日教組を潰さなかったのか
森口氏の最大の問題提起は、「自民党はなぜ日教組を放置したのか」という点です。
自民党は建前上「保守政党」でありながら、実際には教育改革を徹底して進めようとせず、文部省(当時)と教育現場の間に長年にわたり“奇妙な共存関係”を保ちました。
森口氏はその理由を「政治的リスク回避」と「票田構造」にあると分析します。
日教組は強力な組織票を持ち、地方自治体・教育委員会・労組・公務員組織などと連携していました。
そのため、教育改革に本気で踏み込めば、自治体や官僚の反発を受け、政治的に大きな損失を被る可能性があったのです。
多くの自民党議員は「日教組批判」を口では言いながら、実際には組織的対立を避け、「現状維持=売国保守」の道を選んだと森口氏は指摘しています。
“日教組を批判するポーズ”の欺瞞
森口氏は、「自民党や保守政治家の多くは、選挙のときだけ“日教組批判”を口にする」と批判します。
しかし、実際に教育現場の偏向を正す法改正や人事刷新にはほとんど手を付けてこなかった。
「教育基本法の改正」「道徳教育の復活」「教科書検定の見直し」などが議論されても、それらは“国民向けの演出”に終わり、実際の教育現場では日教組的な思想が温存され続けたというのが著者の見方です。
森口氏は、「保守政治家が本気で教育を守る気があったなら、教育委員会制度や教員人事制度を根本から変えるべきだった」と述べます。
つまり、“日教組批判”を口にしながら実行しない者たちは、「保守の仮面をかぶった日教組の共犯者=売国保守」であると断じています。
教育を放置した代償 ―国家観の崩壊
森口氏によれば、日教組的教育を放置した結果、日本の若者の多くが「国家への帰属意識」を失いました。
国歌斉唱を拒む教師、国旗掲揚に反対する学校、天皇陛下を侮辱する発言を容認する教育現場―これらはすべて、日教組が半世紀以上にわたって培ってきた思想の産物です。
著者は、「教育とは国家の未来をつくる最大の安全保障である」と述べます。
つまり、いくら防衛費を増やしても、国を愛する心を持たない国民が増えれば、日本は内側から崩壊する。
森口氏は、「教育を守らない保守は、最も危険な売国である」と強く警鐘を鳴らしています。
日教組はすでに形を変えて生き残っている
森口氏は、「日教組は衰退した」という一部の見方を否定します。
組織としての影響力は弱まったものの、その思想はすでに“教育界全体の常識”として定着してしまっている。
つまり、教職員組合の名を出さずとも、教育大学の教員、教育委員会の職員、教科書執筆者の多くが日教組的価値観を共有しているというのです。
著者はこれを「日教組の思想的勝利」と呼び、「彼らは組織ではなく思想で日本を支配した」と分析しています。
真の保守なら「教育の奪還」から始めよ
森口氏は、真の意味での保守再生は「教育の奪還」なしにはあり得ないと断言します。
学校教育の現場から、国家観・歴史観・伝統尊重の意識を取り戻すことが、日本の再生の第一歩であると説きます。
具体的には以下のような方針が必要だと述べています
- 教員採用や教育委員会人事に「国を愛する者を登用する仕組み」を導入する。
- 教員研修で「憲法・安全保障・歴史教育」を国家的観点から再構築する。
- 教科書検定を厳格化し、自虐史観的内容を排除する。
- 学校教育だけでなく、家庭・地域・メディアが協力して国家教育を支える。
森口氏は、「保守が教育を取り戻すことこそが、日本が再び自立するための核心である」と結論づけています。
まとめ
森口朗氏の『売国保守』は、戦後日本の「自称保守」―つまり、愛国を名乗りながら実際には国益を損ねてきた政治家・官僚・知識人たちを厳しく批判した書です。
著者は、「保守」という言葉が本来の意味を失い、国家や未来世代を守るどころか、既得権や外国勢力を守るための看板に使われていると指摘します。
森口朗氏は、「売国保守」とは単なる裏切り者ではなく、“現状維持を装って日本を静かに衰退させている者たち”だと定義します。
本当の保守とは、国を愛しながらも自らを批判できる知性を持ち、過去に学びつつ未来に責任を取る姿勢を持つこと。
それを失い、「愛国」という言葉を免罪符にした政治・教育・官僚・メディアの癒着構造こそが、日本を弱らせてきた「最大の売国」だと著者は訴えます。


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